佐々木さんには1月20日に1対1をお願いし、2ヶ月後に国際特許事務所に就職致しました。 ところが、実際就職してから年収や職種の変更、担当職種のリスク管理が組織として全く機能されず、 何か問題が起きた場合(企業からの損害賠償等)私のみの責任というシステムの脆弱さ、 又その責任問題から担当女性が節食障害になり次々と離職してしまっていたという実態が分り、1日で退職してしまいました。
その当時は落ち込んでしまいましたが、佐々木さんに再度お願いし新にスタートを切ることになりました。
今回の敗因として、条件交渉時に遠慮して、交渉があいまいだったこと、入社前から非常に気になっていた社内の雰囲気の悪さ (所長のワンマン経営で皆が絶対服従、萎縮し、おびえて仕事をしているという職場だったのです。) を深く考えず、会社のビルの立地、規模で決めてしまった、又職種としても知的分野の将来性ばかりを考え、 自分が好きでない仕事に従事してしまったことでした。
只、今回再開するに当たり、活動方法はある程度分っていたので、落ち着いて取り組めたと思います。
30代の女性の就職は中高年の方より本当に厳しいと思います。というのが、女性の仕事に対して時代の変遷があまりに速く、 企業が女性の育成に遅れ(企業により)、そのくせ求める求人は、専門的能力を持っていて、英語に堪能、 会社の中枢の仕事(ほほ男性と同じ仕事の質)が出来る女性を求めていたことです。
私が就職した時代はバブルで女性はアシスタント業務がほとんど、企業は総合職の女性を活用しきれず、 女性達は会社に幻滅し結婚退職という形で、結婚しても続ける人は本当に少数という時代でした。 “そんな大層な仕事与えられなかったよー。”というのが本音です。
佐々木さんの励ましもあり、自分を客観的に分析し、(年表まで作って)自分が本当に好きな仕事を考えました。 その結果、私の場合、対人関連、英語が使用できるといった過去の職歴からから未来へと続くいくつかの関連性を挙げ、 又、私が求めている雰囲気を投影した職場、経営者を探し面接を続けました。
中には詐欺まがいの会社もあり、内定後に条件交渉は無し、一方的に何日に出社しろという文書と入社してから会社に金銭的、 信用的にも損害をかけた場合は全額補償、それに追随して保証人2名立てること等、と記載された文書が送付されました。 おかしいと思い調べた結果、かなりいかがわしい会社であることが判明致しました。社内の雰囲気を見て、何かおかしいと思う点は十分に注意したほうが (特に女性)良いと思います。
今回の会社の決めては、社内の雰囲気が良く、仕事が忙しくても皆が楽しそうに生き生きと仕事をしていたこと、 社長と私の考え方が似ていたこと、私の好きな職種だったことが挙げられます。いつもはきつく感じる面接も“今日は楽しかったなぁ。” と思えた唯一の会社でした。
幸いにも女性が多い職場なので育児休暇等も真剣に導入しており長く勤められ、又専門的知識も高められるので前回と違って今から出社日が楽しみです。
皆さんもこの暑い中活動は大変だと思います。幸いなことに景気は上向きになり以前より緩やかになったとはいえ、 不安な毎日を過ごされていらっしゃる方は多いと思います。
ご自分の良い面を分析し、戦える点をアピールし、やりたい!と強く思える職種選びが良いのではないでしょうか? 又、落ちても気にせずひたすら応募し続ける事が本当に大切です。
私が最近読んだ本の中で次のようなくだりがありました。
“例えばティーカップがあるとします。
右にくるくるかき混ぜますが、この流れが不本意な流れであったら、左にかき混ぜなければなりません。
上手くいかない問題点を分析し自分の声に耳を傾け、左にかき混ぜる(自らが起こす変化)という行動を起こせば、
人生は自分の気付きと意思でいかようにも変えられるのです”
との1節でした。
思えば1回目の求職で私は自分の声を無視し、自分の気持ちより世間の価値観で会社を決めてしまっていたのではないかと思います。 私の1回目の就職活動は練習、2回目が実践という形でしょうか? 今となると良い思い出、社会経験となりました。
皆さんも流れに乗ったら、ゴールは見えたも同じです。2ヶ月後には絶対に笑っています!
最後に佐々木さん、家族、私の話を聞いてくれた友達には本当に、本当に感謝しております。
1人だったらどんなに辛かったことか、考えるのも恐ろしい(笑)です。これからは私が助けて頂いたご恩を少しでも皆さんに返せるように頑張ります。